NECモバイリング40年史
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●28最近10年の歩み2011平成23年当社の出来事一般社会の出来事業界の出来事 2月 新横浜から霞が関へ本社移転 4月 マーケティング戦略本部、ホームICT事業推進部の新設 4月 モバイルサービス事業本部内にカスタマケア事業部を新設 6月 「AND market 霞が関」オープン 6月 山﨑耕司社長就任 7月 「スマートフォン・コンシェルジュ・サービス」端末の導入 9月 「厳選アプリ+」サービスの提供開始 10月 第1回スマートフォン&モバイルEXPO【秋】に単独出展 12月 本社移転記念行事「ファミリーデー」開催と社長からのメッセージカード 4月 SIMロック解除開始 5月 2011年第1四半期の世界のスマートフォン販売台数が前年同期と比べ倍増したと発表される 2月 日本相撲協会が八百長問題で春場所中止を決定 2月 ニュージーランド地震で日本人28人死亡 3月 東日本大震災、国内観測史上最大のM9.0、死者・行方不明者約2万人 東京電力福島第1原発事故 7月 東京電力と東北電力管内で電力使用制限発動 7月 地上波テレビのアナログ放送終了、地上デジタル放送に移行 7月 なでしこジャパン世界一、サッカー女子W杯 9月 タイで大洪水、日本企業が操業停止 9月 野田内閣発足 10月 米アップル創業者ジョブズ氏が死去 10月 円が戦後最高値を更新11月 野田首相がTPP(環太平洋連携協定)交渉参加を表明12月 北朝鮮の金正日総書記が死去流行歌 「フライングゲット」 「マル・マル・モリ・モリ!」N-05CN-02DN-03C新横浜から霞が関へ本社移転 2011年2月、本社を東京都千代田区の霞が関ビルディングに移転した。都内に移転することによって利便性を向上して事業拡大や成長に繋げることが目的であった。新横浜に比べ通勤圏が格段に広がったことで、採用面でも以前に増して多くの応募があり、優秀な人材の獲得に繋がっている。 ビルの選定に際しては防災やセキュリティなど危機管理も重視した。移転直後に発生した東日本大震災時には、霞が関ビルディング側の素早い対応や危機に対する備えは万全であった。 新オフィスのデザイン・レイアウトは「社員全体のコミュニケーション」を重視、広いフロアを活かし部署間の壁などを極力なくして見通しをよくした。さらにリラックスできる空間として作ったカフェテリアやパウダールームも社員に好評で、交流の場として活用されている。「AND market霞が関」オープン 2011年6月、霞が関ビル1階に「AND market 霞が関」を開設した。これは携帯電話市場の急激な変化と、それに伴う消費者ニーズの変化にいち早く対応できるショップ運営を目指し、スマートフォン専門ショップとしてスマートフォンのまったく新しい販売スタイルやお客さまサポートサービスのあり方を模索するためのトライアル店舗である。初年度は①新規商材の発掘、②サポートビジネスの検証、③有効な販売方法の検証、④接客スタイルの効果検証を中心に運営を行ってきた。次年度以降はコラボ店舗やフランチャイズなどによる多店舗化を視野に入れた事業展開を図るための活動をしている。山﨑耕司社長就任 1972年4月NECに入社。2008年4月同社執行役員兼モバイルターミナル事業本部長、2010年5月NECカシオモバイルコミュニケーションズ株式会社社長などを歴任後、当社第9代社長に就いた。 就任にあたり、スマートフォンにより急激に変化するモバイル市場環境において、技術力とセールスプラットフォームの両方を持つ当社の特長を活かし、「総合的にお客さま満足を提供できる会社を目指す」を事業の基本姿勢としている。創立40周年にあたり「グローバル人材育成研修」として意欲のある若手社員を海外3カ国に長期間渡航させるなど、当社の成長戦略を担う若い人材の育成にも力を入れている。「スマートフォン・コンシェルジュ・サービス」端末の導入 2011年7月、当社の首都圏支店全直営ドコモショップに「スマートフォン・コンシェルジュ・サービス」端末を導入した。スマートフォンの劇的な販売増加に伴い、購入時の端末初期設定、操作説明の要望に加えて、量販店など 霞が関ビルと執務フロア「AND market霞が関」第9代社長 山﨑 耕司

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